ひのひかりゆらゆら

読書について。

懐かしさと息苦しさ『何者/朝井リョウ』ネタバレ感想

『世にも奇妙な君物語』と『何様』を読んで、久しぶりに読み返したくなったので。
4人(5人?)の就活生が関わり合いながら就活する話。

懐かしさ

懐かしい! ちょうど就活生のときにこの『何者』を読んでいたんだけど、あのころよりも冷静に読むことができた。あれ、こんな話だっけ? とも思った。
就活中は本当に読むのが息苦しかった気がする。
誰にもすごく共感できるポイントがあり、決定的に誰に肩入れもできない、そんな感じだった。 あの時の必死だった感じを思い出した。

就活という儀式

「俺って 、ただ就活が得意なだけだったんだって 」

「なのに 、就活がうまくいくと 、まるでその人間まるごと超すげえみたいに言われる 。就活以外のことだって何でもこなせる 、みたいにさ 。あれ 、なんなんだろうな 」

これは主人公の友人の光太郎くんが言ったセリフなんだけど、すごく共感した!
私も初めは落ち続けだったけど、それなりに回数を重ねる頃には要領もわかってきて、それなりに内定が出るようになっていた。
就活って別に一社に絞らなくていいから、何度でもトライエラーができる。
その上聞かれることはだいたい同じだから、数をこなせばどんどん洗練されていくし、緊張もしなくなる。
就活、結構いけるな大丈夫だな、なんて思ったりしてた。
でもそんなの働き出したら何の意味もなかったし、そもそも「就活」っていう制度に恵まれていただけだったことに気づいてしまった。
今はどうなのか分からないけど、私の時は就活って決まりごとがたくさんあって、すごく楽だった。
解禁の時期、服装、髪型、カバン、エントリーシートにはこう書く、受け答えは元気よく笑顔で、ノックは3回、面接官は丁寧に聞いてくれて、webテストの参考書が売ってて、大学ではセミナーがあって、学内説明会もあって……とにかくお膳立てがきっちりされていた。
そんなの別に守らなくてもよかったけど、とりあえず守ってれば間違いではないような決まりごとだった。
それに、「就活は大変なもの」っていう共通認識があったので、なんというか「就活」してます! って空気出してればそれだけで「えらいね、大変ね」っていう目で見られた。
まさに至れりつくせり。これは大学受験と似てる。
実際働き出してからは自分の無能さを噛みしめるばかり。何をしたいかどうしたいか、どういうキャリアを築いていきたいのかも常に問われる。
そこで気づく。私にはとくにやりたいことなんてなくて、築きたいキャリアもなくて、ただ就活をうまく乗り切ってしまっただけだということを。
入社して数年経ったのに、まだ仕事がうまくできなくて残業してばかりいる。そしてミスが増えて迷惑ばかりかける。
コスト、納期、品質を管理しなきゃ、自分の仕事ばかりでなく周りも見なきゃ、これもこれもちゃんと確認しなきゃ、でも誰にどう聞けばいいのか……。
目を回している間に年次ばかり上がってしまって、何もできないまま、何者にもなれないまま。

「就活は終わったけど 、俺 、何にもなれた気がしねえ 」

これも光太郎くんのセリフ。地に足ついてるなーって思う。
私は就活終わった時、こんなこと思わなかった。
自分すらも欺いてしまうほど作り込んだ「自分の軸」を純粋にも信じたままだった。
嘘をついたつもりはなかったのになあ。今では内容のほとんどを思い出せもしない。

何者にもなりたくない

この本を読んでて共感できる部分はあるけど、いまいち遠いなと思っていた。
途中で気づいた。
何者にもなりたくないグループがいない。
実際は一定数いるはずだ。私もそうだったし、「だれかどの会社に行けばいいか決めてほしい」と呟いた子もいた。
何もしたくない、何者にもなりたくない、そんな子がいない。意図的に省いているんだろう。
そういう意味でいうと、みんな前向きに生きてるちゃんとした人たちなんだよね。
主人公だって周りに隠してるけど、未練たらたら演劇業界受けてるなんて、実は憧れてる業界があるなんて、十分立派じゃん! と思う。

「広告って 、やっぱり楽しそうで華やかなイメ ージあるし 、一回は受けてみようかなって 。誰でも憧れるじゃない 、そういう世界 」少し言い訳をするように言うと 、瑞月さんは続けた 。

何を言い訳する必要があるんだろう。そういう風に思えることがすごい。広告最大手での事件なんかもあって、いやそれが起こる前からめちゃくちゃ厳しいところなイメージだし、そもそも華やかさにも憧れられない。
就活をしてないギンジだって隆良だって、何者かにはなりたがってる。なろうとしてる。本当に立派だ。えらい。
最近は出世したくない若者が増えているという。管理職になりたくない若者たち。
そうだろうなと思う。管理職なんてどう見たって大変そうな仕事、やりたくない。
責任を負いたくない。大変な仕事をしたくない。側から見てワーワー言ってるだけでいたい。
だから私は拓人くんに共感するけど、拓人くんとは決定的に違うんだ。拓人くんは批評を自分の武器と捉えているけど、私はただ感情のままに言いたいだけ。
内に秘めたものがある拓人くん、なんて立派なんだろう……。
就活中に読んでいて辛かったのは、何よりもここだった。
何者にもなりたくない、どこの会社にも行きたくない私にとっては、何者かになりたい、どこかの会社に受かりたい彼らの姿は遠く感じたし自分のダメさがより強調されるようで苦しかった。
ようやく行きたい会社が見つかったときは、本当に安堵した。今はそこでまた自分を失ってしまっているけどね!
まあしかたない。いつかどうにかなるでしょう。


何者(新潮文庫)

何者(新潮文庫)

コミュ障でどうもすみませんね『世にも奇妙な君物語/朝井リョウ』ネタバレ感想

『何者』って知ってる?
就活を題材にした朝井リョウの小説で、映画にもなったんだけど、私と同世代の就活生はかなりの人数があの小説を読んだり映画を観たりしてると思う。
そんで、この朝井リョウさんてどういう人なんだろうなとエッセイを読んだら、
この人スーパーリア充じゃんか!! 嫌いだわ〜ってなった。ただの嫉妬。
そんなハイパーリア充が『リア充裁判』という話を書いてると知ったので買いました。
だから『リア充裁判』の感想だけ書く。ほかの4篇も面白かったよ!
いつものことだけど盛大にネタバレするよ。

オチに腹が立ったこと

この話はコミュ力自慢のザ・リア充な生活を披露した学生がぶった切られたあとに、実はその話が友達のいない学生の創作で、モデルにしたリア充に嘲笑われるという構成になってる。
だからこちらとしては途中まで「そーだそーだ」と頷いていたものが、最後にひっくり返ってしまう。
最初に読んだときはすぐに理解できず呆然として、そのあとめちゃめちゃ腹が立った。
そして、腹が立った自分にがっかりした。
いや、コミュ力がないことを自覚してるので、それなりに普段から肩身狭く生きてるのよ。
そもそも人と関わりたいっていう欲求が少ないから、ほんの少しの友達と会ってればすぐに満たされる。FacebookTwitterもインスタもやってるけど、二桁しか友達なんかいなくて反応もたかが知れてるわけ。たかが知れてるのにいいねの数とか気にしちゃうわけ。そのいいねを気にしてる自分もまた嫌なわけ。
渋谷のハロウィンを楽しんだり渋谷でサッカーのユニフォーム着てはしゃいだりなんてとてもしたくないのに、「できない」自分に劣等感を持ったりするわけ。自分はできないししたいと思わないならそれでいいのに、「できる人」を魅力的な人だとも思う。楽しそうでいいなあとも思う。
そういう相反する感情が息苦しさを生む。息苦しさから逃れたくて無意識のうちに「そういうことをする人」をレッテル貼りして自分から遠ざける。
「えーあの人って、そういう感じの人なんだー」なんて勝手にがっかりとかもしちゃう。
べつにそれが悪いわけじゃないのに、ただ劣等感を刺激されるから嫌なだけ。
っていうことを、オチで思い切り腹を立てた事実が表している。
分かってたはずだけど目の前に取り出してまざまざと見せられると心がざわつく。

本当に知子のかいた漫画なのか

知子はどこでキシタニコウヘイを知ったんだろう?
別の大学だよね?
あの話って実は知子が描いてた漫画じゃないのかな?
うーん辻褄よりも対比の妙って感じなのかな…。
それに、キシタニコウヘイの行動力を褒めていたり、ワタナベサユリに対して議長が取り乱したり、いやに客観的な描き方な気がする。
友達のいなくて就活も終われないん子が、リア充悪者にした物語描くんならもうちょっと独りよがりになりそうなものだけども。

コミュ障でどうもすみませんね

この話の中では、コミュニケーション能力をはかる指標(というか象徴?)としていくつかの項目が挙げられている。
飲み会、バーベキュー、タコパ、ハロウィン、愛されゆるふわパーマ…。
だけど、コミュ障はここに挙げられてる項目を全部満たしたとしてもコミュ障なのだ。
だってそもそも好きじゃないから。虚しさがつのるだけだ。
コミュ障とはハートの問題なのだ。項目を満たせばコミュ力有りと認定してもらえるならいっそ楽だけども。
しかしコミュ障とは、コミュ力とは一体なんなのか? 考えれば考えるほど息苦しくなってくる。 朝井リョウの作品を読むとだいたいこんな息苦しさに襲われる。
物語の中にハイパーリア充朝井リョウの存在をくっきり感じるからである。でも面白いから読んでしまう。


大人もかつて子供だった『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない/桜庭一樹』ネタバレ感想

最近ツイッターで本を探すのにはまってる。
自分が好きな本のタイトルで検索すると、そのタイトルと合わせて他のおすすめ本を紹介してる人のツイートが出てきて面白い。
この本もそれで見つけた。

担任の先生

担任の先生が、名脇役だった。
きっと私と同年代なんじゃないかなーってなんとなく思う。
かつて子供だった大人。大人はみんなそう。
昔なんかの本で読んだ。
「大人だって元は子供だったはずなのに、いつのまにか子供の気持ちを忘れてしまう」って
たしかはやみねかおるだった気がする。
でも大人だって子供だった時のことを忘れたりはしないよね。ただ大人になったことを知ってるだけ。
だいたいこういう小説は、子供対大人みたいな構図になりがちだけど、この先生は元子供だったことがわかるように描かれてる。
それがちょっと生々しいというか、まだやわらかい傷あとを見てるような感じ。
高校生から見たらそりゃ大人だけど、でも大人のフリしてるだけだなって分かるのは私もそうだから。
ていうかみんなそうなんだなあ。
子供の頃、『おちゃめなふたご』シリーズを読んで、真夜中のお茶会に憧れてたんだよね。
大人になったら絶対真夜中に紅茶入れてお菓子用意して真夜中のお茶会やる! って思ってた。
けどいざ大人になってみたら、真夜中のお茶会なんてそんないいもんじゃなかった。
ただ寝るタイミング遅くなって紅茶飲んでお菓子バリバリ食ってるだけじゃんっていう。
それとおんなじ感じで、大人になったら両親や先生みたいに、しっかりした大人になるんだと思っていた。でも本当はみんな大人のフリしてくれてるだけだった。
もう私は私が生まれた時の父の年を越してしまったけど、子供の時に天井に背がつくほど大きく頼もしく見えたお父さんは、ただそういう風に振舞ってくれてただけだったんだな。

好きな一文

あたしは自分でも驚くほどに照れて 「えぇっ ! 」と叫んだ 。

この一文、よくないですか。
わかる! 私もそう叫ぶ!
照れたときの表現って色々あるけど、これは初めて見た。現実にはよくあるけど小説にはあんまりない。
昔、雑誌コバルトで花村萬月が言ってた。驚いて瞠目するのはやめてねって。手垢で真っ黒ってことね。
まあとにかくこの一文がすごく好き。表現力ってこのこと! って思う。自分でも驚くほどに照れてるんだよ。それでえぇって叫ぶんだよ。たぶん顔はニヤっとしたと思う。あー同じように感じた人いないかなあ。
もしかして結構ある表現だったりして。まあいいの。こういう一文に出くわすのが読書の楽しみの一つだよね。

なんか全然本筋に触れてないけど、うーん。ちょっとあまりにも悲惨で……。
『「子供を殺してください」という親たち(新潮文庫)』ってあるけど、あれを思い出した。
藻屑が健気なだけ、悲愴。


政治に興味が持てる本『総理にされた男/中山七里』ネタバレ感想

kindleunlimitedから。
売れない役者が総理大臣の代役をさせられる話。
ずいぶんご都合主義な展開だな! と思ったけど、内容は面白かった。
恥ずかしながら私は政治経済全く詳しくなくて、就活中も現在のドル円を答えられなかった苦い記憶がある。
ちなみに今でも答えられない。
だってそんなことより、消費期限切れてるのにまだ残ってる牛乳の活用法とか、限界まで楽なダイエット法とか、バズって一年経つのにどこ行っても品切れのアイシャドウはどの店舗に行けば売ってるのかとか、そっちの方が緊急性があるんだもん。
今まさに困っていることか、よっぽど面白いことじゃなきゃそもそも学ぼうなんて思えない。
その点この小説は面白いんで、政治経済勉強してみよっかなーと思うのにぴったりだった。

経済について

「景気を回復させるには 、どこかで眠っているカネを動かす必要があります 。たとえば 、日本の個人金融資産は千四百兆円という試算がありますが 、この金融資産の持ち主は 、言わずと知れた富裕層ならびに高齢者です 。そういう人たちがカネを遣ってくれないと経済は活発化しない 。だから過去の景気政策というのは大方 、金持ちにカネを遣いやすくするための方策なんですよ 」

なるほど……。国民全員が良くなることじゃなくて、あくまでも平均が引き上がることが景気がいいってことなんだって。
だから庶民が苦しくなっても企業とかお金持ちを優遇すれば景気は上がるんだって。
うーーん。こないだ読んだマンガ『キミのお金はどこに消えるのか』(井上純一著)では反対のことを言っていたんだけどなあ。
経済が縮小して想定通りに税収が上がらないって。
うーーん。どっちが正しいんだろう。景気が上がるというのが平均が引き上がるってことなら、結局優遇されたお金持ちが消費する分と、庶民が消費しなくなる分と、どっちが多いのかってことだよね?
そして、平均ってなんの平均のことなんだろう……景気の良し悪しって何で測るのか。
この本では、そこは明確にされてないんだよね。景気は文字通り気分だから、数値化するのは難しいって言ってる。 『キミ金』では、税収が上がるにはGDP(国内でいくらお金が使われたかという指標)を上げるしかないって言ってる。消費税が上がれば、民間のお金が減るからGDPも減る。だから税収が上がらない。ってことなんだそう。
たしかにこの本の中でも、

景気の良し悪しというのは詰まるところ 、カネの循環がいかに大きくいかに速くかということなんです 。

って言ってるから、同じことなのかな〜。
難しいな……もっといろんな本を読んで考えるべきことなんだと思うから、保留!

復興予算について

これは本当びっくりした。
復興予算がこんな全然関係ないものに使われてるなんて……。
小説の中のことってわけじゃなくて、実際こうなんだね。ググったらすぐ出てきた。

反捕鯨団体による妨害活動対策二十三億円 、道内を含む刑務所の職業訓練拡大三千万円 、(中略)あとご当地アイドルのイベントやらウミガメの保護観察やらにも計上されているな 。結果 、訳の分からん事業に総額一兆円以上の予算が計上されている 」 「おい 、何で復興予算を復興以外の目的に使えるんだ 。官庁施設の耐震化って何だよ 。武器車両整備って何だよ 。自殺対策って 、ご当地アイドルって何なんだよ 。そんなの絶対おかしいじゃないか 」

テロについて

ここが一番印象深かった。
衝撃的で怖くて怖くて、あまりの恐ろしさに夜中に姿勢を正して泣きながら読んでしまった。
次の日は朝4時に家を出なきゃ行けなかったのに、ここを読み始めたせいで全然寝られなかったほど。
アルジェリア日本大使館がテロリストによって占拠され、3時間ごとに人質となった日本人が射殺されていく。
それなのに、日本政府はなすすべもなく見ているしかない。
憲法9条がずっと取り沙汰されてるのは何となく知ってたけど、それはこういうことだったんだ、と思った。
平和ボケしてるっていうのも、こういうことを言っていたんだ。

「話を単純にしますとね 、政府の方針はヤクザ相手に一歩も退かないし 、交渉もしないということなんです 。ヤクザに手を上げようものなら報復が怖いし 、それを暴力主義だと謗る身内がいる 。交渉すればしたで 、裏切者だとか腰抜けなどとやはり謗る身内とギャラリ ーがいる 。ヤクザと闘わず 、身内やギャラリ ーからも責められない方法はただ一つ 、通りすがりの屈強な他人か 、日頃頼りにしている友人が駆けつけてくれるのをひたすら待ち続けることです 」 「つまりこの場合は 、アルジェリア政府に交渉を任せるか 、アメリカ軍の出動を期待するということですか 」

本当にこのシーンは読むべき。


総理にされた男

総理にされた男

死刑制度を正面から考えるとは『 雪冤/大門 剛明』ネタバレ感想

死刑判決が下った息子の冤罪を雪ぐためにがんばるお父さんの話。

死刑制度

死刑制度。普通に生きてたらあんまり意識しないと思う。私も全然ちゃんと考えたことなかった。
小学生の頃に、死刑賛成派か反対派かにわかれて討論をしよう、みたいな授業があった。
私は賛成派を選んだ。賛成派が少数派だったから。討論のルールとして、発言回数を平等にしようというものがあったのだ。少数派に属する方が発言回数を多くできた。 つまり、どっちでもよかった。 当時の賛成派の意見としては「人を殺した悪い奴は同じ目に遭わせてやれ」 反対派の意見は「冤罪があったらどうするのか」「外国も死刑廃止してる国が多い」 だった。 人が人を殺すことについての意見はなかったと思う。
死刑について、そんな発想はなかったのだ。
イメージとしては天罰。人が殺すことを決め、実際に殺すのも人だという意識がなかった。

よく死刑は報復の連鎖を防ぐために国家が代わって執行するといいますがこれは間違いです 。民主主義国家において国家とは国民です 。死刑は国民が国民を殺すのです 。正当防衛のような殺さなければ殺されるという状況でないのに殺すのです 。どう美化しようとただの殺人です 。

酷い事件を聞いたとき、私はつらくて悔しくてならなくなる。ちょっと探せばそんな事件はいくらでも出てくる。
犯人の人間性に吐き気がして、そんな奴は死刑にしろと言いたくなる。というか言う。
でも、ナイフや銃を渡されて、目の前にその犯人が拘束されて置かれ、罪にはならないから殺していいよと言われたら、多分、ぜったい無理だ。殺せない。
だけど死刑執行されたらきっとよかったなと思うだろう。
なんの違いがあるのだろうか?
もちろん全然違う。
死刑は肉を刺す感触も、苦悶の表情も、発する言葉も伝わってこない。自分の動作で人が死ぬ臨場感がない。
でも臨場感がないだけで、本質として違いがあるのだろうか?
かといって、じゃあ死刑廃止がいいかというと、…。
難しい。
昔読んだ小説を思い出した。
ある少年が、猟奇的な犯罪者に拉致られたが、勇気と機転で山の中で逃げ出し、逆に犯人を瀕死の目にあわせるのだ。 (彼は犯人を殺したと思っていた) そのあと彼は友人に言う。
「正当防衛だから罪に問われないだけだ。正当防衛だからって、人を殺していいわけがない」
これも小学生の頃に読んで、衝撃が大きかったのを覚えている。
緊急避難という言葉を知ったのもこの頃だった。
どんな理由であれ、人を殺すことがいいことなわけがない。
「仕方ない」と認められることがあるだけだ。
じゃあどんな場合なら「仕方ない」のか……。 「仕方ない」場合などない、というのもあるだろう。 小学生のあの討論の授業で、そういう風な議論をしたかったものだと思う。

泥まみれのパン

「普通 、我々は道端に落ちた汚いパンを食べようとは思いません 。ですが飢餓の場合ならどうでしょう ?それしかなければ食べるしかない 。大切な人を失った時 、我々はそういう状況に置かれます 。これが病気や自然災害なら泥まみれのパンすらない 。ですが犯罪は違う 。怒り苦しみをぶつけられる相手がいる 。本当は誰もそんなことはしたくないのに苦しみをぶつけられる相手がいてしまうんです 。それが泥まみれのパン … …必然がっつくことになる 。本当は被害者の方ももっとおいしいものを食べたいはずなんです 。それにそんなパン一切れでは餓死してしまう 」

ちゃんと噛まないと飲み込めない内容だとは思うけど、なんとなくわかる気がする……。
そもそも、殺されなければ喪う痛みも感じる必要がなかった、というのはあるけれど。
大切な人を喪う悲しみは深いものだろう。当たり前だ。何をもっても埋まることのない穴だ。
それが人に向かえば、死を望むしかなくなるのは必然だ。
だけど純粋に(?)犯人の死を望んでいるのではなくて、あくまでも悲しみを埋め合わせそうな対象、憎しみを向ける対象が分かりやすくそこにいるだけだ、と思う。
でもこういうことは当事者じゃないと語れないと思う。

綺麗事は誰にだって言えるんだから。

雪冤 (角川文庫)

雪冤 (角川文庫)

笑い声が出るエッセイ『パーネ・アモーレ イタリア語通訳奮闘記 /田丸公美子』ネタバレ感想

これイタリア語通訳者のエッセイなんだけどすごくよかった。

読んでて思わず笑っちゃう

まず面白い。なんといっても面白かった。思わず声を上げて笑う。または人目があるので笑いを押し殺す。
なんていうの、こう、思わぬところから笑いのツボを刺してくる感じ。
例えば、ホテルでマッサージを注文したら白衣を着た中年紳士が訪れたシーン。

彼氏はいとも面倒くさそうに 「私は職業でやってますんで 、裸にはまったく無関心なんですけど … …でも気になるようでしたら 、このタオルを使ってください 」と白いフェイスタオルを投げてくれた 。ボクシングではないが 、タオルを投げられたら 、いさぎよく降参するしかない 。

ここでボクシング。思わずドトールの中でフッと笑ってしまった。
こんな感じのテンションで、フフ、フフ、ハハハ!と笑いながら読める。

イタリア人のとんでもないイタズラ

日本でやったら大炎上しそうなイタズラ。

ヨ ーロッパ最古のボロ ーニャ大学の学生だった友人から抱腹絶倒の悪戯の数々を聞かされた 。(中略)学校の前のキオスクの意地悪おじさんへのしかえしに 、キオスクの屋根に鎖をかけ市電のフックに結びつけ 、発車と同時に屋根を飛ばしたこともある 。

ええ。
それはさすがにやりすぎでは。
ていうか、キオスクの屋根の修理とかはもちろん、市電側やお客さんに迷惑はかからなかったのか?
何より危ないのではないか。
なんてついみみっちいことを考えてしまう。
でもこんなイタズラをわらわら紹介されると、だんだん細かいことを気にしてるのがめんどくさくなってくる。
イタズラだけじゃなくて、イタリアについてのいろーんなエピソードが面白い。
私はあんまりイタリア人のイタズラを楽しめる度量はないけど、でも田丸さんというフィルターを通すと安全に愉快にとらえられてとてもいい。

プロ意識について

通訳という職業の体験談も多い。というかそれがメインなわけだけど、これを読むと生半な気持ちで通訳は目指せないな…と思う。
ほかの仕事にも通じることだけど、まだまだ何もできない半人前が周りの人たちのおかげで成長していくのはとても素敵。
誰にだって未熟な時があって、はじめてのお客さんがいて、冷や汗かきながらなんとか頑張って成長するんだよね。そうだよね。
私も社会人2年目の時、今よりさらにひどいぐちゃぐちゃの仕事ぶりで迷惑をかけたなあ。
その方に「最後には一番成長したと思う」っていってもらえたこと、すごく優しくて器の大きい人だなと思った。
その時の気持ちを思い出しました。


最後の話が怖い『恐怖のお持ち帰り2 /福谷修』ネタバレ感想

kindleunlimitedから。
さらっと暇つぶしに読む感じの話だな〜と思って、とくに記録しとこうと思うとこはなかったんだけど、最後の話が怖かったので。
ていうかこの本は怖いとかよりも倫理的人道的にちょっとどうなの、と思う話が多くてちょっと嫌な気持ちになることも多かったから、本当に最後の話でゾッとしなかったらむしろ残したくない部類の本でしたね!
とくに献体を冒涜しまくるあたりが酷すぎる。そりゃ怒ります。けど、芸人さんもかわいそう。

二十六 雑木林のお堂

最後のお話。この話が怖かったです。
なんせこの女の子に感情移入してしまってたので。
爽やかに自分がやりたいこと見つけて、ああよかったな、って思ってからの、コレ。
多分この話単体で読んでたらそんなにゾッとしなかったんだろうけど、途中途中のうんざりするような話で食傷気味だったから、爽やか感に飛びついてしまったんですね。
それで奈落に突き落とされた感がずしんと来てしまった。
狙った構成なんでしょうか。後味悪!


恐怖のお持ち帰り2 (TO文庫)

恐怖のお持ち帰り2 (TO文庫)