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善良な人が生きる道は『傲慢と善良/辻村深月』ネタバレ感想

婚活の辛さ、苦しさ、厳しさが語られるので、婚活中の人は読まないほうがいいかも、と思った。
この感想のなかでは婚活についてではなく、タイトル通り傲慢と善良について書きたい。

善良な人は欲求の少ない人

この物語の主人公カップルの片割れの真実さんは、いわゆる善良な人である。
両親思いで嘘がつけず、「私なんか」と自分を卑下する。謙虚なやまとなでしこ
そんな彼女だが、実は謙虚なのではなく自信がないだけ。物語が進むにつれて、垢抜けない男性やコミュニケーション能力のない「善良」な男性を切り捨ててきていたことが明かされる。
彼女の中に、善良さと傲慢さが同居していたのだ。
物語の中では批判的に描かれるこのあたりに私はとても共感できる。
善良さとは素直さのことだ。素直さとは人に逆らわないことだ。
つまり、大人になってもなお善良でいられる人とは、人に逆らってまで何かをする欲求が芽生えなかった人なのだ。
反対に、人(多くは親)に逆らわないと欲しいものが手に入らなかった人は、早いうちにそれを手に入れるために善良さを抜け出している。
物語中では姉の希実がそれにあたる。
希実には何でもかんでも親の言いなりになる真実の気持ちがわからない。バカじゃないかとすら思っている。
私は真実よりなので、真実の気持ちがわかる。親に逆らってまで何かをするほどの欲求がないのだ。私の母も厳しく、やや過保護で、私は大学3年になるまで12時過ぎに帰宅したことがなかった。大学も就職先も自分で決めたけど、本質的に真実とあまり変わらないメンタリティをしていると思う。
親に逆らってまで、夜出かけたい用事などなかったのだ。飲み会も、ものすごく2次会までいたいわけじゃなかった。親を言い訳に早めに帰れることに安堵すらしていた。
だから、欲求の少ない者にとって、過保護な親は都合がよく、善良な自分でいることも都合がよいのだ。自分で自分の行動を選択しなくてよいという気楽さもある。
善良であれば非難されない、怒られない。善良であるメリットを捨ててまでやりたいことがない。
そして気づかないうちに、だんだんと自分の人生を選択する力をなくしていく。
それにしても、今回の名前はすごい。辻村深月は言葉遊びの好きな人だけど、自分の欲求をはっきりと自覚して叶える姉は希実で、嘘のつけない妹は真実。シンジツとかいてマミだ。

嘘というツール

作中では「嘘」がなんども登場する。
極め付きはここ。

正気を疑うような声は 、私より何枚も上手だった 。彼女たちは噓のプロだ 。噓はいけない 、という私が信じてきた常識を取り払った世界で 、こんなにも上手に生きている 。

善良な者は嘘をタブー視し、善良さから抜け出した者は嘘を使いこなす。
まるで、嘘をつくことを煽るかのようなストーリーだ。
だけどこの本を読み終わった後でも、私はできるだけ嘘はやめたほうがいいと思う。
とくに善良でしかいられなかった人は。
なぜなら、嘘をつくのにはコストがかかるからだ。ついた嘘を忘れずにいるコストもそうだし、何より罪悪感がある。
嘘をつくことに慣れている彼女たちには罪悪感はないのか?
そんなことはないだろう。嘘をつくことに罪悪感を覚えないのはサイコパス(良心を持たない人)だ。多かれ少なかれ、嘘をつくためには罪悪感というコストを払う必要があり、その罪悪感は思っている以上に精神を蝕む。嘘をつくことに慣れれば、その罪悪感に気づかないようになれるかもしれないが、気づかないだけで依然として罪悪感は存在する。
就活でもなんでもそうだが、ついた嘘の結果は自分で引き受けなければいけない。
だからやっぱりできるだけ嘘はつかないほうがいい。生きてくために必要な悪意や打算はあると思うが、なにもあえて嘘を選ばなくてもいい。
善良な人にとって嘘をつくリスクは高すぎるので、嘘をつかない範囲で性格悪くなればいい。
嘘は嘘でも、自分がそれを嘘と思わない範囲までレベルを下げればいい。化粧と同じで、それは「演出」だと思う。
そしてきっと嘘の上手な人はそれを嘘と思わず、演出と捉えている。

善良な人が自分で選択するためには

善良な人は欲求が薄いのだ。
だから自分の望みに無頓着なのだ。
だから自分で選択せずに周囲の人に流されてしまうし、誰かの望んだ選択を受け入れてしまうのだ。
だけど自分の人生、選択の結果は自分で引き受けることになるわけで、だったら誰かの希望じゃなくて自分で選んで、自分で結果を引き受けたほうがいい。
自分の人生に責任を持つというのはそういうことだ。自分で選ばない限り、永遠に誰かのせいにできてしまう。
そのためには、まず自分の欲求に気づくことだ。
だけど自分の欲求に気づけないから善良できてしまっているわけだ。
どうしたら気づけるのか。
それは、自分の怒りを無視しないことだ。
善良であればあるほど、怒りは頻繁に生まれているはずだ。
欲求が少ないといっても、完全にないということはないだろうし、その少ない欲求を結果的に我慢しているわけだから。
それが怒りであることにすら気づいていないかもしれないけど。
とにかく、「不快」だという思いはあるはずだ。
まず怒りに気づくこと。そしてその怒りがどこから来ているのかを考えること。
怒りは二次感情だから、必ず元になる感情がある。それを頑張って探してみることが、自分の欲求を知る第一歩であり、自分で選択をする第一歩であると思う。
そして嫌いな人を嫌いと認めること。
多分善良な人は、人を嫌いだと認めるのにかなり長い時間がかかる。
嫌いな人を好きなフリをしてもマイナスしかない。とにかく美奈子は本当に嫌なやつだ。なにが親友として心配だ。こんなおためごかしなこというやつ、大嫌いだ。
というのを、認めることが、善良な人が「親友だから」とかいう詭弁に騙されないことの第一歩かな、と思う。


傲慢と善良

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