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読書について。

コミュ障でどうもすみませんね『世にも奇妙な君物語/朝井リョウ』ネタバレ感想

『何者』って知ってる?
就活を題材にした朝井リョウの小説で、映画にもなったんだけど、私と同世代の就活生はかなりの人数があの小説を読んだり映画を観たりしてると思う。
そんで、この朝井リョウさんてどういう人なんだろうなとエッセイを読んだら、
この人スーパーリア充じゃんか!! 嫌いだわ〜ってなった。ただの嫉妬。
そんなハイパーリア充が『リア充裁判』という話を書いてると知ったので買いました。
だから『リア充裁判』の感想だけ書く。ほかの4篇も面白かったよ!
いつものことだけど盛大にネタバレするよ。

オチに腹が立ったこと

この話はコミュ力自慢のザ・リア充な生活を披露した学生がぶった切られたあとに、実はその話が友達のいない学生の創作で、モデルにしたリア充に嘲笑われるという構成になってる。
だからこちらとしては途中まで「そーだそーだ」と頷いていたものが、最後にひっくり返ってしまう。
最初に読んだときはすぐに理解できず呆然として、そのあとめちゃめちゃ腹が立った。
そして、腹が立った自分にがっかりした。
いや、コミュ力がないことを自覚してるので、それなりに普段から肩身狭く生きてるのよ。
そもそも人と関わりたいっていう欲求が少ないから、ほんの少しの友達と会ってればすぐに満たされる。FacebookTwitterもインスタもやってるけど、二桁しか友達なんかいなくて反応もたかが知れてるわけ。たかが知れてるのにいいねの数とか気にしちゃうわけ。そのいいねを気にしてる自分もまた嫌なわけ。
渋谷のハロウィンを楽しんだり渋谷でサッカーのユニフォーム着てはしゃいだりなんてとてもしたくないのに、「できない」自分に劣等感を持ったりするわけ。自分はできないししたいと思わないならそれでいいのに、「できる人」を魅力的な人だとも思う。楽しそうでいいなあとも思う。
そういう相反する感情が息苦しさを生む。息苦しさから逃れたくて無意識のうちに「そういうことをする人」をレッテル貼りして自分から遠ざける。
「えーあの人って、そういう感じの人なんだー」なんて勝手にがっかりとかもしちゃう。
べつにそれが悪いわけじゃないのに、ただ劣等感を刺激されるから嫌なだけ。
っていうことを、オチで思い切り腹を立てた事実が表している。
分かってたはずだけど目の前に取り出してまざまざと見せられると心がざわつく。

本当に知子のかいた漫画なのか

知子はどこでキシタニコウヘイを知ったんだろう?
別の大学だよね?
あの話って実は知子が描いてた漫画じゃないのかな?
うーん辻褄よりも対比の妙って感じなのかな…。
それに、キシタニコウヘイの行動力を褒めていたり、ワタナベサユリに対して議長が取り乱したり、いやに客観的な描き方な気がする。
友達のいなくて就活も終われないん子が、リア充悪者にした物語描くんならもうちょっと独りよがりになりそうなものだけども。

コミュ障でどうもすみませんね

この話の中では、コミュニケーション能力をはかる指標(というか象徴?)としていくつかの項目が挙げられている。
飲み会、バーベキュー、タコパ、ハロウィン、愛されゆるふわパーマ…。
だけど、コミュ障はここに挙げられてる項目を全部満たしたとしてもコミュ障なのだ。
だってそもそも好きじゃないから。虚しさがつのるだけだ。
コミュ障とはハートの問題なのだ。項目を満たせばコミュ力有りと認定してもらえるならいっそ楽だけども。
しかしコミュ障とは、コミュ力とは一体なんなのか? 考えれば考えるほど息苦しくなってくる。 朝井リョウの作品を読むとだいたいこんな息苦しさに襲われる。
物語の中にハイパーリア充朝井リョウの存在をくっきり感じるからである。でも面白いから読んでしまう。