ひのひかりゆらゆら

読書について。

スクールカーストごときで人生に絶望しないでよね『教室が、ひとりになるまで/浅倉 秋成』ネタバレ感想

一生、ゆりかごから墓場まで、ゴミみたいな馬鹿どもの支配は、共存は、永遠に続く。誰もあなたを一人にはしておいてくれない。

この物語のテーマとして、いわゆる「スクールカースト」のもとで苦しむ高校生たちの苦悩がある。
「みんなで」いいクラスを作ろうとした「スクールカースト」上位者が次々と自殺していく。
その死を悲しむもの、喜ぶもの、内心喜ぶ自分をクズだと抑えようとするもの。
日本で普通科の高校生活を過ごした人たちのなかで、「スクールカースト」と無縁でいられた人はどれほどいるのだろう。

圧巻だったのはタピオカドリンク屋のバイト大学生、のり子さんの熱弁。この人天才なのかと思った。実際書いてるのは作者なんだけど。

「あたし当時さ、真剣に考えたの。これってなんだろうって。そしたらわかったんだよ。(中略)そしてあれは『上』の人が勝手に始めた『軍事力』を最大にすることを目的にした『富国強兵ゲーム』に巻き込まれてただけなんだ、って」

スクールカースト」の『上』に立つ存在であろうという原動力を、『軍事力』を持つことと見立てているのだ。
自分の意見を通したい、そういう欲求が強い人ほどこのゲームの参加モチベーションが高い。
そして『軍事力』とは『暴力』なのだ。実際に使うわけでなくても、『暴力』をふるうことができる、その気配だけで相手を威圧できる。

「(前略)面白いのは、顔がよくて運動ができる男子でも、美人で性格のいい女子でも、いくら上等な恋人を手に入れたとしても『上にいきたい』、『富国強兵ゲームに参加したい』と思わない生徒たちは、階級が『下』だと認識されてしまうところ(後略)」

これも、思い返せば確かにそうだった。
あまたある高校生をターゲットにした小説の中で、散々語られつくしたと思っていた「スクールカースト」への『富国強兵ゲーム』というコンセプトの鮮やかさ。
のり子さん、いいなあ。
そしてのり子さんは言う。

「(前略)誰も彼らから舵を奪えない。教室中のありとあらゆる富を彼らは独占し、『下』の人間に一生消えない、入れ墨みたいに強力な劣等感を植えつける」

そう、こんな風に、この物語の中では、「スクールカースト」による苦しみは一生続くのだ、と繰り返し説明される。
冒頭の引用もそう。
そうなんだけど、そうなんだろうか。と学生を終えて長くなった今では思う。
もちろん、その記憶は一生続くし、人付き合いも一生続く。
そりゃそうだ。富士山の上でおにぎり食べた記憶だって一生続くだろう。
暴力におびえるのは人間の本能だし、自分の意見を通したいと思う人もたくさんいる。私だってそうだ。
でもだからといって、人間、社会に出てまで本能むき出して生きている人はそんなに多くない。いや、場所によるのかもしれないが。
人間には本能が備わっている。そして理性もある。
人間は考えることができるし、それを武器にすることもできる。
『富国強兵ゲーム』というコンセプトを導き出せる知性だってあるわけだ。
理性があると何ができるのか。自分の軸を見定めて、それにあった場所を選ぶことができる。
もちろん、それにあった努力は必要だし、いうほど簡単ではないし、私もそんなにできてないけど。でも、「必要ならできる」ってことを知っている。大人だから。

運動ができる、勉強ができる、外見がいい、お金を持っている、友達が多い、そういうことも素晴らしい。
でもそれって誰が見ても素晴らしいってわかることで、それだけで人をはかるのってちょっと浅くてつまんないなって思っちゃう。
誰でもわかるような魅力を持ってる人は素晴らしい。誰でもわかるような魅力でしか人を判断できない人はつまらない。
何が言いたいのかっていうと、年を取るほど人の価値観ってバラバラになるし、どこで人を見るのかだってバラバラになるってこと。
他人の価値観は、年を取るほど自分への影響力が低くなってくこともあるかもよってこと。 教室の中で息をしづらい子は、大人になると息がしやすい環境を選べるかもよってこと。
学生のときに気づくのは難しいんだけどね。経験がないから。
自分の軸を探すのって時間と手間がかかるので。「自分の軸ってこれかな?」って探してみて、ちょっと過ごしてみて、あってるっぽいなとか、どうも違うなとか、そうやってだんだん固まってくものなので。
そして一生変化し続けるものなんだよね。

だからね、高校生でスクールカーストをもとに人生ずっとこうなんだとか思っちゃうのは早すぎるよね。気持ちはとってもよくわかるんだけどね。
これは別に誰に言いたいってものでもなくて、しいて言うなら高校時代の自分に言いたいだけなんだけどね。
主人公の垣内くんがこの物語の最後で見つけたものが、これからの軸のひとつにきっとなるんじゃないかな。
とにかく、スクールカーストごときで人生に絶望するなんて早すぎるよ!

計算なんてふっとぶほどのかけがえのない存在『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ/辻村深月』ネタバレ感想

10年ぶりに再読。10年も経つと感想も変わる……というより、記憶力がないので覚えてなかった。ほぼ初見みたいなもの。

客観という呪い

私たちは、いつから大人になるのだろう。成人を迎えたら、就職したら、子供をもうけたら。
人によってさまざまに節目はあると思うけど、この本を読んで、世間一般で言う「大人になる」とは、「自分を客観視すること」が1つポイントになるように感じた。
チエミとみずほは対照的なキャラクターだ。物語の大部分で、チエミは精神的に幼い地方在住の腰掛OL、みずほは中学、高校、大学、社会人と順調に知識や考え方をアップデートさせた都会のキャリアウーマンとして描かれる。
みずほは自分自身のことを計算高いと自覚している。自分の立場を計算して、うまくふるまうというのは、自分を客観視していないとできないことだ。
自分が客観的にどのような立ち位置にいるかがわかっているからこそ、計算したふるまいもできるわけである。
そしてほとんどの人は、この客観視を身に着けて成長していく。
コミュニケーション能力の高い人は、この客観視が得意な人。
みずほもそうだが、みずほの夫の母は象徴的だ。客商売を営み、みずほの母の自慢話をそつなく受け止め、服装はさりげなくセンスがよい。
さりげなくセンスがよいって、相当難しいことだ。わかりやすくはなく、それでいてセンスがよいと思わせる程度に主張させている。
それを発信する人間も、受信する人間も、相当繊細な感覚が要求されるはず。こんな風に、服装や言動、果ては子供につける名前、すべてが「自分はこんな人間です」という発信になっているわけで、つまり、コミュニケーションをとっているってことだ。
洗練されたコミュニケーションができる人って、怖い。自分や相手がどんな発信をしているか、そしてどんな受信をしているか。情報を読み取ってうま~く取捨選択をしているからこそ、心地いい空間ができるのだ。ということは、相手が選択を誤ったとき、それに敏感に気づくということでもある。なんなら、相手が発信していることにすら気づかないものを受信できるってこと。怖くない……?
チエミは、自分が発信していると気づいていないものを、周囲の女友達に読み取られている。
昔よく一緒に合コンをしていた友達の政美は、そんなチエミを「見栄っ張り」「痛々しい」等と評するけど、自分を客観視する能力をある程度まで育てられなかった人間が受ける評価が「痛々しい」なのだ。はては、「気持ち悪いってことを認めさせたかった」とまで言われてしまう。余計なお世話すぎる。
一度獲得した客観は、なかなか自分の意思でなかったことにはできない。つまり、私たちはずっと自分を客観視しつつ生きていくわけである。
これは地獄だ。
だって、誰にとっても自分は「たった一人のかけがえのない存在」じゃないか。世界で誰よりも価値があるものじゃないか。それなのに、客観的に見たらただの取るに足らない一個人だ。価値なんてたかが知れている。
この矛盾を生涯抱えて生きていかなければいけない苦痛。客観視とは呪いのようなものだ。

かけがえのない存在

それでは、そんな自分を本当に「たった一人のかけがえのない存在」と認めてくれるのは誰だろうか。多くの場合は親じゃないかな。たぶん。
だからこそ、親が特別で大きな存在なんだね。
だけど、子どもの頃のみずほにとっては、そんな風に思えないほど母親への不信感や違和感があった。
みずほにとっては、チエミの母親こそが自分を肯定してくれる存在だったのだ。

「私は、みずほちゃんが好き。あんたは、いい子。何にも悪くないよ」
そう言われた。
空っぽの頭がじんじん痺れた。私は、理解していた。言ってはいけない、ということを。
おばさんが今、私を抱きしめて、よその子にこんな言葉をかけたことを。
うちのお母さんが私をピアノの部屋に呼ぶこと、怒るない世に、中にはおかしなこともまじってること。全部、誰にも言ってはいけない。なぜだかわからない。だけど、それはよくない、どれもが誰かを困らせることだ。

うわあー。私はこの感覚、すごく覚えがある。みずほの母親ほどではないけど、似たような記憶がある。きっと、みんな「あるある」って思うんじゃないかな……これを読んだ人に聞いてみたいな。
だって、親も人間だもの。そりゃ無理よ。いつもいつも正しいことだけきちんきちんと区別して子どもに言い聞かせるなんて、そりゃ無理よ。
とにかく、この出来事がみずほのコアな部分にまで突き刺さって、みずほは絶対にチエミの母親だけは裏切らない。
普段は自分の立場を計算していても、ことチエミの母親のこととなると、計算をかなぐり捨てて「チエミのお母さんが好き」と公言してはばからない。
みずほは周囲の女友達から、「チエミのことをかばってる」と言われるけど、それは結果的にそう見えるだけで、実際にはチエミの母親をすごくすごく大切に思っているから、チエミの母親にとって大切なチエミを大事に扱ってるように見える。
この物語は、ささやかな欺瞞や見栄や見下しあいにまみれているけど、そうした中で、誰かが誰かを純粋に思うときの気持ちが、まるで奇跡のように強く光っている。
そして私は、もうそれだけが本当に大切なことなのではないかと思う。
結局、人は自分が一番大切だけど、自分よりも他人を大切に思うとき、その人を自分よりも自分の核に置いている、ということのような気がする。
つまり、その人が失われてしまったら自分は自分ではいられない、ということ。
そしてそれこそがこの世で一番きれいな感情の形なのではないかな……と思う。
自分の核に置くものを増やしていくことが、大人として生きることなのかもしれない。
いや、大人とか子供とかではなく、人間として生きるってこういうことだろう。
だって、洗練された「大人」として存在するってことなら、その特徴を学習させたAIでいいもんね。


善良な人が生きる道は『傲慢と善良/辻村深月』ネタバレ感想

婚活の辛さ、苦しさ、厳しさが語られるので、婚活中の人は読まないほうがいいかも、と思った。
この感想のなかでは婚活についてではなく、タイトル通り傲慢と善良について書きたい。

善良な人は欲求の少ない人

この物語の主人公カップルの片割れの真実さんは、いわゆる善良な人である。
両親思いで嘘がつけず、「私なんか」と自分を卑下する。謙虚なやまとなでしこ
そんな彼女だが、実は謙虚なのではなく自信がないだけ。物語が進むにつれて、垢抜けない男性やコミュニケーション能力のない「善良」な男性を切り捨ててきていたことが明かされる。
彼女の中に、善良さと傲慢さが同居していたのだ。
物語の中では批判的に描かれるこのあたりに私はとても共感できる。
善良さとは素直さのことだ。素直さとは人に逆らわないことだ。
つまり、大人になってもなお善良でいられる人とは、人に逆らってまで何かをする欲求が芽生えなかった人なのだ。
反対に、人(多くは親)に逆らわないと欲しいものが手に入らなかった人は、早いうちにそれを手に入れるために善良さを抜け出している。
物語中では姉の希実がそれにあたる。
希実には何でもかんでも親の言いなりになる真実の気持ちがわからない。バカじゃないかとすら思っている。
私は真実よりなので、真実の気持ちがわかる。親に逆らってまで何かをするほどの欲求がないのだ。私の母も厳しく、やや過保護で、私は大学3年になるまで12時過ぎに帰宅したことがなかった。大学も就職先も自分で決めたけど、本質的に真実とあまり変わらないメンタリティをしていると思う。
親に逆らってまで、夜出かけたい用事などなかったのだ。飲み会も、ものすごく2次会までいたいわけじゃなかった。親を言い訳に早めに帰れることに安堵すらしていた。
だから、欲求の少ない者にとって、過保護な親は都合がよく、善良な自分でいることも都合がよいのだ。自分で自分の行動を選択しなくてよいという気楽さもある。
善良であれば非難されない、怒られない。善良であるメリットを捨ててまでやりたいことがない。
そして気づかないうちに、だんだんと自分の人生を選択する力をなくしていく。
それにしても、今回の名前はすごい。辻村深月は言葉遊びの好きな人だけど、自分の欲求をはっきりと自覚して叶える姉は希実で、嘘のつけない妹は真実。シンジツとかいてマミだ。

嘘というツール

作中では「嘘」がなんども登場する。
極め付きはここ。

正気を疑うような声は 、私より何枚も上手だった 。彼女たちは噓のプロだ 。噓はいけない 、という私が信じてきた常識を取り払った世界で 、こんなにも上手に生きている 。

善良な者は嘘をタブー視し、善良さから抜け出した者は嘘を使いこなす。
まるで、嘘をつくことを煽るかのようなストーリーだ。
だけどこの本を読み終わった後でも、私はできるだけ嘘はやめたほうがいいと思う。
とくに善良でしかいられなかった人は。
なぜなら、嘘をつくのにはコストがかかるからだ。ついた嘘を忘れずにいるコストもそうだし、何より罪悪感がある。
嘘をつくことに慣れている彼女たちには罪悪感はないのか?
そんなことはないだろう。嘘をつくことに罪悪感を覚えないのはサイコパス(良心を持たない人)だ。多かれ少なかれ、嘘をつくためには罪悪感というコストを払う必要があり、その罪悪感は思っている以上に精神を蝕む。嘘をつくことに慣れれば、その罪悪感に気づかないようになれるかもしれないが、気づかないだけで依然として罪悪感は存在する。
就活でもなんでもそうだが、ついた嘘の結果は自分で引き受けなければいけない。
だからやっぱりできるだけ嘘はつかないほうがいい。生きてくために必要な悪意や打算はあると思うが、なにもあえて嘘を選ばなくてもいい。
善良な人にとって嘘をつくリスクは高すぎるので、嘘をつかない範囲で性格悪くなればいい。
嘘は嘘でも、自分がそれを嘘と思わない範囲までレベルを下げればいい。化粧と同じで、それは「演出」だと思う。
そしてきっと嘘の上手な人はそれを嘘と思わず、演出と捉えている。

善良な人が自分で選択するためには

善良な人は欲求が薄いのだ。
だから自分の望みに無頓着なのだ。
だから自分で選択せずに周囲の人に流されてしまうし、誰かの望んだ選択を受け入れてしまうのだ。
だけど自分の人生、選択の結果は自分で引き受けることになるわけで、だったら誰かの希望じゃなくて自分で選んで、自分で結果を引き受けたほうがいい。
自分の人生に責任を持つというのはそういうことだ。自分で選ばない限り、永遠に誰かのせいにできてしまう。
そのためには、まず自分の欲求に気づくことだ。
だけど自分の欲求に気づけないから善良できてしまっているわけだ。
どうしたら気づけるのか。
それは、自分の怒りを無視しないことだ。
善良であればあるほど、怒りは頻繁に生まれているはずだ。
欲求が少ないといっても、完全にないということはないだろうし、その少ない欲求を結果的に我慢しているわけだから。
それが怒りであることにすら気づいていないかもしれないけど。
とにかく、「不快」だという思いはあるはずだ。
まず怒りに気づくこと。そしてその怒りがどこから来ているのかを考えること。
怒りは二次感情だから、必ず元になる感情がある。それを頑張って探してみることが、自分の欲求を知る第一歩であり、自分で選択をする第一歩であると思う。
そして嫌いな人を嫌いと認めること。
多分善良な人は、人を嫌いだと認めるのにかなり長い時間がかかる。
嫌いな人を好きなフリをしてもマイナスしかない。とにかく美奈子は本当に嫌なやつだ。なにが親友として心配だ。こんなおためごかしなこというやつ、大嫌いだ。
というのを、認めることが、善良な人が「親友だから」とかいう詭弁に騙されないことの第一歩かな、と思う。


傲慢と善良

傲慢と善良

ぐちゃぐちゃプロジェクトだけど後味は爽やか『残業禁止/荒木源』ネタバレ感想

今年度から時間外労働の上限規制というものがはじまって、残業時間もちょっと厳しくなった。 その中でただでさえ長時間残業してやっとまわしていたヤマジュウ建設という会社の現場が、さらに厳しい規制にどうなるか……というお話。

残業時間のレベル違いすぎ

しかし月百時間なんて 、休日出勤だけですぐ天井が見えてしまう 。百二 、三十が当たり前で 、このごろでは百五十 、二百のこともあった 。 「配慮 」と言われていったいどうすればいいのか 。

いやいやいやいや、月百どころか二百って。
キツすぎる。
死んでしまう。
現場監督って、めちゃくちゃ膨大な資料づくりが必要なんだそうだ。
読んでいるだけでうんざりする。書類仕事嫌いだから。

結局できるのは 、 「百時間以上は残業をつけないでくれ 」と部下に頼むことだけだ 。彼らもどうにもならないのは分かってくれている 。それでもタダ働きを命じるのは心が痛む 。

ひええ。心が痛むって。
二百時間も残業させられて残業代もらえないなんて、ありえない。
甘いんだろうがあってはいけないことでしょ、闇……。そりゃ人手も減るよね……。

育児中の社員

帰ってゆく熊川の後ろ姿に小さく舌打ちしているのが前に聞こえた 。

この熊川さんは保育園のお迎えにどうしても5時10分には出ないといけないということで、膨大な仕事量を抱える仲間を尻目に1人5時10分に帰るのだ。当然周りからの心象はよくない。
けどさー。
残業していいんなら残業して片付けたいって思うんじゃないかなー。
それでも子どもが一番大事だもんね。
周りがもやっとする気持ちも分からなくないけど、熊川さんかなりつらいだろうなって。
会社でも、家庭のある人は大変だなって思う。時短で帰ったはずなのに夜中の2時とかにメールが来てたりするとゾッとする。
ってモヤモヤしながら読んでたけど後半みんな分かってくれるシーンがあるんで、ああよかったなって感じ。

成長したい欲求

「いいじゃないか 。人間 、ちょっとくらい無理してみるのも大事だよ 。じゃないと成長しない 。キャパが大きくならないんだ 。最近の若いのはそもそも大きくなろうって気がないんだよな 。しんどいことはしたくないってだけでさ 。だから仕事に慣れるところにすらいかないんだ 」

私、今まで成長したいなんて思ったことないなあ。就活の時も成長って言葉が嫌いだった。
だってキリがないじゃん。どこまで成長すればいいのかって、考えただけでうーんざりする。
今のままでいいとは思ってないけど、成長ってぼんやりしたなんとなくそれっぽいポジティブな感じの言葉を聞くとモヤモヤっとしたプレッシャーに潰されそうな気持ちになる。
「頑張り続けなきゃいけなそう感」が嫌だからなあ。
それだったら〇〇ができる、とか分かりやすく、区切りがあるほうがいい。

高塚くん

「僕は仕事できませんから 」 高塚はつぶやくように言った 。 「生きててもしょうがないですよ 。みなさんもそう思ってるんでしょう ?勝手にさせてください 」

高塚くんの自殺未遂のシーンである。
高塚くんは、長時間労働で倒れてしまったベテランの穴を埋めるために現場に投入されてきた新人の子である。
しかしこの高塚くんは仕事が全くできないのだ。
コミュニケーション力が低く、鈍臭く、ミスが多い。
大学院まで出てるから施工図ならと描かせても、ただ設計図の数字を機械的に落とし込むだけ。
あー、自分を見ているようで心が痛い。

高塚宏にはこの種のポカも多い 。注意力散漫というか 、人の話が右から左に抜けているところがある 。

私も注意力散漫なので読んでいて大変心がざわざわする。

「それくらい ?現に忘れてんじゃねえかよ !とにかくお前は一人前じゃないんだ 。半人前にも足りねえよ 。マイナス人前だ !毎朝起きたら 、俺はマイナスだって百回唱えろ 。分かったか ?おい 、分かったのか ? 」

これは高塚くんの教育係の砂場くんが怒鳴り散らすシーンである。
いや、パワハラかい。
というかいじめかい。
イラつくのは分かるんだけどさー、このシーンだけじゃなくて高塚くんはずーーーっと怒られ続けるんだよね。
もはや指導っていうか、人格否定なわけ。
まあ残業二百時間なうえに使えないミスばかりの人間の教育係までやんないといけないなんてそりゃ怒りも爆発するよなって思う。
でも似たようなこと経験したこともあるんで、高塚くんの肩持っちゃうんだよね〜。
まあそんなわけで、高塚くん自殺に走っちゃうわけです。現場で。
辛かったんだろうなあ。毎日毎日残業に休日出勤、でも役に立てることはなく、自分のせいで空気がどんどん悪くなっていくしミスばかりだし罵倒しかされない。誰からも嫌われている。
萎縮するしかないでしょうそんな状況。
結局7階から落ちた高塚くんはネットでみんなに受け止められ、命に別状はなかった。
いや、よかった。本当。電車とかじゃなくて現場選んだのもよかった。よく頑張った。

さてそんな高塚くんに対して砂場くん。

「そうですよ !あいつだって無理なのは分かってたはずだ 。どうして言わないんです ?言ってくれたら 、分かった 、お前はもういいってこっちもなりますよ 。恥ずかしいんですかね ?屈辱とか 、あいつ感じるんですかね ?そういうプライドだけは持ってるんですかね ?だとしたって 、死ぬくらいだったら何だってできるじゃないですか 。そうですよ 、やっぱり逃げてくれりゃよかったんです 。簡単な話じゃないですか ! 」

砂場くんの気持ちも分かる。いっぱいいっぱいなんだろうし、その中でも精一杯頑張ってたし、それなのに自殺未遂なんてされて、誰に言われなくても責められてるように感じだんだろうなあ。
だけど、死ぬくらいなら何でもできるって言う人は、死ぬくらいまで追い詰められた人の気持ち分かるのかなあって思う。
狭い社外の誰からも認められずに、うまくコミュニケーションすらとれずに、ひたすら馬鹿にされて、いらないものと罵倒されつづける苦しみって分かるのかな。
自己肯定感ゼロになるよね。もはやプライドとかじゃないんだよね。
どこまでならできてどこからできないのかだって考察する余力なんてないし、誰にどういったらいいのかわかんないし、体力的にきつく休むことすら許されない、そこまで追いつかれたら複雑な思考なんてできないし、複雑な思考ができないってことは後先が考えられないってこと。
目に見えて楽になれる道があったらそっちに飛びついてしまうってこと。
砂場くんは今までそういう経験がないんだろうけど、それってラッキーだっただけじゃないのって感じ。
とにかく高塚くんの件は本当に胸糞悪い話でしかないけど、ちゃんと彼も最後に救われる。

仕事を離れて会ってみると 、高塚は意志が弱いわけでもなく 、筋道だった話ができ 、元々は明るい性格なのだと分かった 。現場監督という仕事に不向きだっただけなのだ 。

「大きな建物はだめだけど 、高塚君 、家具なんかだったら素晴らしいデザインセンスを持ってるんです 。椅子のスケッチ見せてもらって感心しました 。私が前一緒に仕事した家具屋さんに紹介したら 、とんとん拍子に就職が決まったんですよ 」

というわけで、高塚くんは仕事を辞めた後、浅田さんと付き合うようになるのだった。
ええーーー。
ていうかこの浅田さん、途中砂場くんといい仲になるんじゃないかみたいな描写されてたんだけど。
謎に作者の砂場くんに対する恣意的ななにかを感じてしまうのは気のせい?

日頃の鍛錬

普段から足腰を鍛えていないと 、未知の事態に対応できない 。
例えば 、現場監督の仕事の相当部分を A Iがこなしてしまう世の中が来るかもしれない 。 A Iに真似できない人間ならではの能力を売りにするにしろ 、優れた A Iの開発に注力するにしろ 、現場監督が切磋琢磨してこなかった会社は真っ先に退場を余儀なくされるだろう 。進歩し続けることが会社の安全保障なのだ 。

最後は仕事に対する姿勢で。
進歩し続けることが安全保障なのは会社もそうだし、個人もそうなんでしょうね。
結局成長し続けるのが一番楽な道なんでしょう。
嫌だけど。嫌だけど。
仕方がないから、だましだまし改善したり勉強したりをやっていくしかないんだなあ。
だましだましって言葉は好き。嘘をついてない感じがするから。
だましだまし成長していきます。だましだまし前向きにやります。だましだまし努力します。
ね、どれも本当はやりたくない感が出てる。
それにだましだましのほうが、無理にモチベーション上げようとするよりは長く続きそうな気がしない?
錯覚かも。

全体的には読後感がよくていい小説だった!


残業禁止 (角川文庫)

残業禁止 (角川文庫)

思わず仕事に危機感を持つ『君たちに明日はない/垣根涼介』ネタバレ感想

リストラの話。
タイトルなんか既視感……と思ったらボニー&クライドじゃん。
最近、本の感想を書くようになって、自分の本の選び方が3パターンあることに気づいた。
1.娯楽
これは簡単。単純に楽しみたいだけ。その時々で読みたいものは変わるけど、まあ楽しめるならなんでもいい。
2.実用
今困っていることに対しての解決策を求めて買う。自己啓発本が多い。料理本とか、家事とか雑誌なんかもここ。ちなみに実践できるのは大体書いてあるうちの1つだけということも最近気づいた。
3.シミュレーション
この先こういうことがあるだろうけど、想像力がなくて自分の頭だけではシミュレーションできないときに読む。『何者』もそれ。

今回はこの3つ目のシミュレーション目的で読んだ。
『何者』を読んで、今の仕事ぶりを振り返って、このままではやばいかなあ、やっぱり……と思ったので。
そんなわけで、「わあ、やっぱりやばいんだなあ私……」ってドキッとしたところの感想を書いていく。

仕事と作業

リストラ最有力候補になる社員にかぎって 、仕事と作業との区分けが明確に出来ていない 。つまり 、自分の存在がこの会社にとってどれだけ利益をもたらしているのか 。たとえば営業マンなら 、自分が担当した商品の売値と仕入れ値の差額粗利から 、自らの給料 、厚生年金への掛け金 、一人割りのフロア ー維持費 、接待費 、営業車代 、交通費などを差っ引いた純益として考えたことなど 、夢にもないのだろう 。

うう、考えたことない。
でもそういえば、管理職の人はよく言っている。
たしかに、自分が担当した案件の粗利から、さらに自分にかかってるお金を引いてみるっていうことをやったことはないなあ。
ていうか、私一人当たりに一体いくらかかってるんだろう?
軽くググってみたら、社員一人当たりにかかるお金はだいたい基本給の2倍くらいらしい。
そして、新人採用にかかるコストはだいたい50万くらい。
うーんでも研修も結構行かせてもらってるからなあ…新人研修とあわせると少なくみても50万は絶対くだらない。
しかも1、2年目はほぼ直接案件やってないから、……。
新卒の初任給は平均20万6,250円。
計算面倒だから20万として、24ヶ月分。
20万×2×24=960万!!
しかもボーナスを足すと…1000万軽々超える!
ひええ。
研修とか採用コストも含めると1300万はくだらない感じ?
つまり、会社が私を雇っていてマイナスじゃないようにするためには、今の基本給の2倍の利益を出さないといけないし、その上に少なくとも1300万を返済(?)しないといけないし、ということである。
それによく考えたらこの1300万は年次低めのうちに稼がないと、年次上がって基本給も増えたらその分返済(?)が難しくなる。
しかもこれでも低めにつけてる。
だいたい間接部署もあるんだから自分の分だけまかなえばいいって話でもない。
やばい。何がやばいって、今どれくらいの利益を出してるかよくわかんないから、会社に行ってみないと比較もできない。
どうも、あと3年くらいで1300万返して自分が雇われててせめてマイナスじゃなくしようとすると、少なくみても月80万利益を出さなきゃいけないっぽい。

段階的に間に合わない 、という言葉は 、所詮は作業労力を指す言葉だ 。だが 、作業と仕事とは違う 。この仕事の本質自体で間違いを犯せば 、実際の業務で役立っている多くの人間の首を切ることにも繋がる 。それこそが 、取り返しのつかないミスだ 。 ― ―この男は 、仕事と作業の区別さえついていない 。

うーん。仕事と作業って、どう違うんだろう。

小心者はつらいよ

実を言うと陽子は小心者だ 。自分でも分かっている 。そして小心者には 、意外に怒りっぽい人間が多い 。あれこれとロクでもない想像をついアタマの中で先走りさせ 、その妄想に感情が振り回されるからだ 。

これはリストラと関係ないけどドキッとした。私も小心者で怒りっぽい。
以前会社のアンケート(だか心理テストだかメンタル調査)で、小心者で不満を持ちやすいのに細かいこと気にしなくて適当、みたいな結果が出た。
人間、図星を指されるとめちゃめちゃムカッとくるものですね。

人脈

三十五を過ぎてからの転職は 、ただ転職雑誌をめくって企業に応募すればいいというものではない 。不景気の時代ということもある 。なにもないところからのイチからの転職はまず無理だ 。今の業界で出来た人脈 。人のつながりから来る引き合いで同業他社に移るのが 、ベストの方法だ 。そのほうが今までのキャリアも生きるし 、相手側の組織も大切に扱ってくれる 。

ウワア出た。人脈。社外の人脈。無。南無三。
よく聞きますね、会社の外に居場所を作れと。社外の人と関われと。
そうなんだけど、そうなんだけど……。
どうやればいいのだ?

完全に理解すること

授業中に理解もせずに漫然とノ ートを取るより 、教師の言っていることをその場だけでもいいから完全に理解することだ 。そうすれば後日その教科書を広げるだけで 、そのときの内容をまずはほとんど思い出すことが出来る 。その該当ペ ージに載っている事柄を教師は説明しただけの話なのだから 、復習は再認の作業だけで済む 。

これもリストラとはあんまり関係ないけどハッとしたこと。
私はメモ魔なので忘れないようにとメモを取るのだけど、そうするとメモを取ることに集中してしまい理解がおろそかになる。
一度完全に理解することを目指して、備忘はそのあとってことね。けど、忘れる方を恐れちゃうんだよねえ。
初心に帰ってちゃんと理解することを目指そう。

突然くるその時

「念のために申し上げておきますが 、今回 、仮に会社に残られたとしても 、給料ダウンは確実で 、さらに来期以降にも予想される人員削減計画では 、退職条件は今よりも悪くなる可能性が濃厚です 。その点も 、現段階で踏まえておいて頂ければと存じます 」

シミュレーションと言う意味では、この言葉が一番真に迫って感じられた。
いつこんな風に言われたっておかしくないし、こう言われてからではもう遅いってことだ。


君たちに明日はない(新潮文庫)

君たちに明日はない(新潮文庫)

ほっと息がつけるエッセイ『とにかく散歩いたしましょう/小川洋子』ネタバレ感想

小川洋子さんのエッセイ集。Kindle Unlimited対象でした。
小川洋子さんといえば『博士の愛した数式』の著者というイメージが強い。
私は読んだ本の内容を片っ端から忘れていってしまう(それでせめて、と余裕があるときはブログに感想を書き留めている)。だから博士の記憶が80分しか持たないこと、博士と仲のよい男の子の頭のてっぺんが平らで、あだ名がルートであることしか覚えてないけど、すごく優しくて雰囲気のよい物語だったことは覚えている。
このエッセイもそんな感じで、とても雰囲気がよく、淡々としていて、それなのにずっと読み続けたい気持ちになる。
ご飯と味噌汁みたいな、昼下がりの匂いみたいな、そういう雰囲気、分かってくれるだろうか。
このうちの3つの感想を書いておこうと思う。

盗作を続ける

私は汗だくになって彼らの跡を追う 。書き出しの頃は間違いなく 、私が彼らに言葉を与えていたはずなのに 、いつしか私の方が彼らの言葉を聞き取ろうとして必死になっている 。自分の頭の中で作り出した人物たちが 、なぜか私など行ったこともない遠い場所から 、はるばる訪ねてきた人のように感じられる 。

登場人物たちの物語を書き写してるから、彼らに盗作だと言われたら言い訳できない、と言っているのだ。
いやそんな馬鹿な……。この人は天才なんだな、と思った。
もう少し丁寧に言うと、天がこの人に小説を書くと言うことを託したんだろうな、と思った。
こんな風に言ってみたいものだなあ。
小説書いてないけど。

自分だけの地図を持つ

小川洋子さんは方向音痴らしい。
私も方向音痴。きっと頭の中で立体を思い描く能力が低いんだと思う。

「今いるのは 、駅の北側ですか南ですか ? 」と聞かれ 、 「そんなこと分かりません 」と答えるしかなかった 。 「太陽を見ればいいんです 」 「太陽 ?そんなものを見たら目が焼けてしまうじゃありませんか 。ガリレオはそれで目を傷めたんですよ 」などと言って 、編集者にあきれられた 。

お、面白すぎる。

背表紙たちの秘密

題名同士の思わぬ出会いを演出するためには 、本棚は系統立てて整頓しない方が 、かえっていいのではないかと思ってしまう 。

いいなあ。いつか私も今より大きい家に住むようになったら、大きい本棚を買って紙の本を並べたい。
今はスペースがないのでほぼkindleだから、整理がしづらくてぐちゃぐちゃなんだよね。
その分、スマホひとつあれば読み返したい本がいつでもどこでもすぐ読み返せるというメリットはあるんだけど。


ダルトーンのタイルたち『何様/朝井リョウ』ネタバレ感想

『何者』の続編? スピンオフ? 的立ち位置の物語があるということで、読んだ本。
これだけだとまあフツーの短編集。6編。『何者』と合わせて読むと、登場人物により一層愛着がわく。
一編一編の感想を書いていく。

水曜日の南階段はきれい

光太郎くんの話。
やっぱり光太郎くんは根からまっすぐなんだなーって思った。
一年生で中庭で試しにゲリラライブをするチャレンジ精神、それを一回だけじゃなくてずっと続けられる熱のキープ力、しかもそのすごさを強調しないでさらっと説明するのは本当に『何者』で描かれていた光太郎くんだなと思う。
先生に怒られた後で何のてらいもなくその先生に話しかけられる素直さとか。
仲が良いわけでもないクラスメイトに勉強教えてもらう調子の良さとか距離感とか。
そして実は人のことをよく見ていて、そうしようと思うわけでもなく分析している。

席が近かったころは 、おはようとか 、シャ ーペンの芯貸してとか 、そういう会話を日常的にしていた 。

この「シャーペンの芯貸して」は間違いなく光太郎くんから言ってるし(それに夕子さんは返さないものに貸してなんて言わなそう)、「おはよう」だって最初に言ったのは光太郎くんのはず。

「荻島は … …本当に努力家だな 。あまり表には出さないけど 、内にものすごい情熱を持ってる 。その熱さは 、もしかしたら 、このクラスで一番なんじゃないかって 、俺はひそかにそう思ってる 」

先生が一人一人に卒業文集を渡しているときの、夕子さんに向けたセリフ。
この先生はすごいな。30人強いるだろうクラスの全員をちゃんと見てきたんだろうな。
だからこんないいクラスなんだなあ。
そして夕子さん。夕子さん、本当にめちゃめちゃ熱い人だった!
夢は公言した方がいいって、もはや定説になっているけど、この本では少し違うことを言っている。

夕子さんは違った 。ぎゅうぎゅうづめの教室の中で 、擦り減ってしまわないよう 、摩耗してしまわないよう 、外側からの力で形が変わってしまわないよう 、両腕でしっかり自分の夢を守ってきた 。

ということは、光太郎くんは、公言したら夢はすり減ると思ってるんだ。
外側からの力ってなんだろう。
ひとつは、反対する声だと思う。
「無理だ」とか「やめろ」とか「やっていけるの?」とか。
でもここで言ってるのはそっちじゃないと思う。
むしろ応援する声の方だと思う。
「すごい」「頑張って」「絶対できるよ」
そんな声のほうが強いんじゃないか。
夢があるっていうだけですごいことだし、多分友達なんかは否定的なことを言わないで応援してくれると思う。
でも何も成し遂げてないうちからそんなこと言われたらなあ。
私だったらそれだけで何かやった気になって満足しちゃいそう。もういいかなってなりそう。夢が叶わなくても十分頑張ったよねって折れそう。
夕子さんはそうならないように夢を守ったと光太郎くんは思ってる。

自分には夢があるって思いたかった 。夢に向かって精いっぱい頑張っている人間だって 、誰かに思ってもらいたかった 。

それでは2人組を作ってください

出た! 学校生活での先生の残酷な一言!
実際に2人組を作るのに苦労しててもしてなくても、この言葉を見て胃がギュってなる人は同世代の2割くらいはいるね!
誰も組んでくれなくてオロオロしたことがある人は実際もうちょっと少ないだろうけど、運が良かっただけで一歩間違えたらあっち側だったなって人はいるはず。
これは理香ちゃんのお話。
女の子と2人組になれない理香ちゃん。
学生ってつらいなあって思う。
ニコイチとか言いあってそのあとずっとニコイチでいられる人ってどのくらいいるんだろうか。
一生付き合いたい友達なんて1人見つかれば上等だし、複数見つかったんならなにより恵まれてるってことだと思うんだけど。
でも学生時代はとにかく一時的にでも2人組作れないとつらいシーンが多いんだよねー。

結局私は 、自分よりもバカだと思う人としか 、一緒にいられない 。

理香ちゃんはそう思ってるけど、そんなことないと思うよ。いつかなんかのきっかけで一対一の関係ってできてると思う。
拓人くんが理香ちゃんに思ってたことを直接言ってくれる女の子がいるといいなー。

逆算

これはきつい。知り合いに何人かいる9/15生を否が応でも思い浮かべてしまった。
沢渡って、サワ先輩かあ。

「後から振り返ったら 、あれがきっかけだったんだろうな 、って 、それくらいでいいんだよ 。可純ちゃんが早見の携帯を拾ったのだって 、二人がその後付き合わなかったらきっかけでもドラマチックなエピソ ードでも何でもない 」

やっぱり人格者ですね、サワ先輩。
そしてこの内容でググったら全くおんなじ内容の知恵袋が引っかかってきて、もしやここから物語を作ったのか?

きみだけの絶対

ギンジ頑張ってるし、いい話だった。
誰かの言葉が誰かの胸には刺さるのに、同じ場にいた他の人にはサッパリってこと、あるよね。
昔サークルの先輩が言ったことが私に刺さりまくって、その後もずーっと覚えてたの。
でも同じ場にいた同期の子は「そんなこと言ってた?」ってひとつも覚えてなくて心底驚いた。
えええ、あれを覚えてないの?! って。

むしゃくしゃしてやった 、と言ってみたかった

学校の先生も 、教科書も 、両親も 、子どものころは子どもに対して 、いい子であれ 、人に迷惑をかけるな 、間違ったことをするなと教える 。だけど大人になった途端 、一度くらい本気で喧嘩したほうが人と人は深く分かり合えるとか 、人に迷惑をかけてきたからこそ伝えられる何かがあるだなんて言い始める 。正しいだけではつまらないなんて 、言い始める 。

あるあるだね〜。しょうがないよね〜。
そんなダブルスタンダードなんてどこにもあるしね。しょうがないしょうがない。

こんなとき 、煙草の一本も吸えれば 、むしゃくしゃした気持ちがどこかに消えるのだろうか 。

消えるわけないって分かってて言ってるんだよね〜。
なんやかんや言ってるけど、ラクだからそっちの道を選んだだけなのに、まるで誰かに頼まれて努力したみたいに言うの、ずるいよね〜。
なんだか読んでいてすごく皮肉な気持ちになってしまった。
きっと自分と重なる部分があるからなんだろう。

以前読んだ、『ぼぎわんが来る』でも言っていた。

「それは──自分の醜さや 、おぞましさや 、弱さや愚かさを目の当たりにするのは 、耐え難いほど苦痛だからです 。先生を見ていてイヤというほど分かりましたよ 。おかげさまでいま最悪な気分です 」

何様

就活の、面接官側の話。

武田は他の企業の面接官にありがちな 「僕は君たちと同じなんだよ 」 「ほかの面接官とは違ってユ ーモアがあるよ 」なんて顔をしなかった 。

あー、なんかあったな。今となっては面接官に共感するけど。学生に威圧感を与えないように、かつなめられないようにって難しいんだろう。

武田が言い終わるより早く 、ドアがノックされた 。少しだけ開かれたドアの向こう側から 、 「もう入れますかあ ? 」と女の人の声がする 。

会議室あるある。朝井リョウって会社勤めしてたんだなって感じ。

君島には 、誰かと誰かの間に入って物事を調整する能力がある 。他部署から面接官を調達し 、面接のために会議室を多く使用することを許してもらう力 。しかも 、ほんの一ミリの優勢を保ったまま 、その調整を行う力 。

こう言う発想も。

「だから武田さんはあんたのことすっごくよく覚えてるみたい 。眉毛カッタ ーがどうのこうの話して得意げに笑い取ってたんでしょ ? 」

! 眉毛カッターの子か、この子!

「あんたもさ 、子どもができたって言われて 、うれしいって本気で思った一秒くらい 、あったでしょ ?すぐ不安な気持ちに呑み込まれたのかもしれないけどさ 、でも 、その一秒だって誠実のうちだと思うよ 」

うーんいいこと言うなあ。
思ったことってそういう1秒がモザイクタイルみたいに合わさってできてるんだろうなあって。
朝井リョウの小説ってそのモザイクタイルのあんまり見たくない面を強調してるから刺さるんだろうなと思う。
色でいうならダルトーン。明るくないけど完全に暗くもなくてモヤモヤっとした表すのが難しいところ。そんな色のタイル。 けど続けて読むと疲れる。モザイクタイルの明るい綺麗ないろとか、暗いならはっきり暗いとか、そういうのに逃げたくなる。


何様

何様