ひのひかりゆらゆら

読書について。

「にゅう」コワッ…『厭魅の如き憑くもの 刀城言耶/三津田信三』ネタバレ感想

めっちゃ昔の人出て来る

菅江真澄貝原益軒。大学受験の日本史Bで必死に覚えた名前がさらっと物語に出て来る。
実家の日本史のテキストを見返したくなりますね。日本史めちゃめちゃ苦手だったんですよね。
受験時代のテキストを引っ張り出して復習したところ、菅江真澄化政文化(江戸後期)の人で三河国学者です。『菅江真澄遊覧記』という東北各地を記録した随筆が有名で、民俗学の祖と言われているそうです。また、貝原益軒元禄文化(江戸中期)の儒学者で、本草学(薬草とか動物・鉱物)の基礎となる『大和本草』を著し、動物・鉱物・植物を独自に分類して解説しています。

合理と非合理の交わり

これまでの経験から言耶は 、そんな風に説明しそうになったが 、口に出すのは止めておいた 。現実と非現実 、合理と不合理 、白と黒 ─ ─物事は何でも割り切れるものだと 、世の中の多くの人が無意識に信じている 。そのことにも嫌と言うほど思い知らされていたからである 。

ここ最近、三津田信三さんの本を読んでいて、これが一つのテーマなんだなー、というのがわかってきました。
合理と非合理、科学と幽霊、どっちに振り切れるわけでもない、みたいな。
だからこそ怖いんですよね。
よく変化球のあとの直球は威力があるって言いますけど、そんな感じで。野球全然わからないですけど。
怖さって想像力にあると思うんですよね。物陰に何かいるとか、招く手とか、見てしまったら、行ってしまったらどうなるんだろうって想像を膨らませるから怖い。
なんか昔、テレビで「落ち葉恐怖症」の特集をしてたことがあったんですけど、催眠療法でその恐怖症の原因を探っていたんですね。 それで、原因としては、小さい頃に「落ち葉」を見たお母さんが、「死んだ葉っぱ」って表現したことで「落ち葉」に「死」のイメージがついてしまったってことでした。
私も一時期、満員電車恐怖症っぽくなっちゃったんですけど、それは圧死しそうなほどの満員電車に乗っている時に、ふとこのまま電車が止まって、逃げ出すこともできず、酸素がなくなって押しつぶされ続けたら……って想像しちゃったんですよね。
だいぶ話がそれまくりましたけど、想像の余地の中に怖さが生まれるっていうことで、白黒はっきりつけない怖さが三津田信三さんの怖さですね!

黄昏時と彼は誰時

これ、同じ意味だと思ってました!
ウィキペディアの「彼は誰時」の項目にはこう載ってます。

彼は誰時は元々、彼が誰か訊かなければ判らない、薄暗い朝方や夕方を指していた。しかし、後には朝方に限定し、黄昏(誰そ彼)が夕方を指す、と区別して使われるようになった。

へえ〜。元々は朝と夕方だったんですねえ。
それで、このお話の中では、彼は誰時ではなく、黄昏時に村が本来の姿をあらわす、とあります。
たしかに、朝方と夕方だったら断然夕方の方が不気味ですね。これから昼に向かう朝ではあんまり怖くないですしね。春と秋では秋の方が物悲しいようにね。
そういえば高校の日本史の先生が、石川啄木の「地図の上 朝鮮国に黒々と 墨を塗りつつ 秋風を聞く」という歌について「厳しい冬に向かっていくということを暗示しているのだ」と解説していました。
これも絶対春じゃないですもんね。たしか、『ぼぎわんが来る/澤村伊智』でもありましたけど、こういう気分ってかなり大事らしいですね。明るく楽しくしているだけで、だいたいの怪異には負けない。でもそれが一番難しい。という。だから、いつでも明るく楽しくいられる人って本当に尊敬します。

にゅう

三津田信三さんの小説は擬音語、擬態語が怖さを煽ることで有名らしいですが、この小説では「にゅう」がいっぱい出てきます。

その笑いも 、にやにや 、げたげた 、というものではなく 、両の下がった目尻と吊り上がった唇の両端とが本当にくっ付きそうな 、今にも顔全体がにゅうぅぅという音を発しそうな 、そんな無気味な笑みだった 。

とか、

道端に祀られた祠の陰から 、にゅうっと何かが覗いていた 。地面すれすれの地点から 、凝っと自分を見詰めている 。咄嗟に顔のように映ったが 、確かにそうだったとは言い切れない 。見たというよりも視界に入った程度だった 。直視はしていない 。思わず目を向けそうになった瞬間 、幸いにも背中を見せて逃げ出したからだ 。

うう。にゅう、怖い。ていうか、祠の陰から覗いてたのって結局なんだったのか。

結局なんなの?

この小説の最後には、謎解きパートがあります。それまで起こった怪異の謎を、ミステリーとして解くんですね。
ただ、このパートが結構結論があっちこっち行くんですよ。普通のミステリーって、謎解きパートではもう完全に一切の謎が解かれてて、犯人もわかってるじゃないですか。この小説では、犯人はこの人です、が何パターンか出てくるんですね。だから何というか、すごく現象を論理的に説明するために「当てはめてる感」が強くて。
そして一応の決着はつくものの、それでも残る謎は残る。という、非常にモヤモヤする結末を迎えます。やっぱりこれが、決してミステリーではなくホラーだということ、なのかなあ。


厭魅の如き憑くもの (講談社文庫)

厭魅の如き憑くもの (講談社文庫)